カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。
2021.11.07
「知恵を絞る」ことが重要だと考えていました。無い知恵でも絞ってみれば、何か解決策が見つかるのではないかというような気持ちです。
このところ、あまりそういう気持ちにならなくなりました。考え抜いてわかったと思うことには、思うほどの効果はなく、解決策のようである一方実際には有益ではない場合があるような気がするようになったからです。
『知識』と『経験』が言動や判断を決めるのだと思います。考え抜くということは知識をつなぎ合わせ、経験を総動員し、結論に近づこうとする意欲に当たるものだとして、考え抜くのに必要とされる時間の流れや無理やりでも結論を導き出そうとする思い込みなどに影響を受けて、正解と思えることはすでに正解ではなくなっている、そういう歪みも生じているのではないでしょうか。
考え抜くよりも、その作業の前で掴まえられる直観で結論を見通した方がスムーズなのかもしれない。そういう気持ちになります。そのためには、結論を見通せる経験や直観のもとになる知識などが必要でしょう。結論が出るまで考え抜く、考え抜いた末に結論を出す、という今までのやり方を止めて、新たなやり方を選択したい思いが強まります。最後に結論を出すのではなく、最初に結論を持つ、そういう意識が強まっているからでしょう。
最初に結論を持つことの危険はあるでしょうが、私の責任の負える範囲において、いずれのやり方で考えることも自由があると思われます。
結論を「目標」と言いかえてもいいかもしれません。たとえば、このことの目標は何か、という「結論」からスタートすること。一例として、説明をすることが目標ではなく、理解してもらうことが目標であるならば、生かせる知識と経験は「理解」に焦点を当てるべきでしょう。
理解を得たいと思い、それを実現したければ、理解が得られるような言動をする必要があります。しかし、考え抜く過程における言動は、考え過ぎたゆえに「説明」に傾くかもしれません。説明の先には「結論」ではなく、さらなる「説明」となることがあるでしょう。人は、説明しても説明しても説明しきれていない気がする、説明すればするほど微妙に自分の本意とは異なる感覚が生じるものです。訂正しても補足しても、言えば言うほど、自分の中での乖離ばかりでなく、残念ですが他人から理解が得られない結果を作ってしまうことがあります。
最初から「理解」を目標に据えているならば、説明したいという誘惑(わかってもらいたいという希望からであっても)、説明しなければならないという呪縛から距離を置くことができるのではないでしょうか。
どういう結論にするか、考え抜いた結果出す結論にするのか、直観で決めてしまうのか。人によってやり方は異なり、一人の人においても時期や年齢、環境によって異なるものでしょう。考え抜く過程を大切にし、結論を信用するためにも考え抜いたという実感が必要である場合もあるでしょう。また、知識と経験を活用する応用力等の発達を含めて考え方の変化などによって、知識と経験と結論の三点がセットになって最初に定まってくることもあるでしょうか。
私の場合、知識と経験の先に結論があった感覚が、結論が知識と経験とあらかじめセットになって出ている感じが強くなりました。年齢による変化もあるのでしょうが、最初に出てきた結論で本当にそれでいいのか、一拍置いて考える、その時間が一方で必要になってくるわけです。
そういう意味においても、一拍置くことはますます私にとって重要となるわけです。行動力が先に出てしまいがちな自分自身の性格は、こうしたところでも、気をつけなさい、と言われているのでしょう。意識することが大切でしょう。どのように考えても、どのような変化があっても、自分の持っている性格と切り離せないようになっている気がいたします。
一拍置けば、ポイントも絞れるのでしょう。早い行動は、大事なものとそうでもないものを混ぜてしまいます。早いことが何より有利な場合もあるとしても、物事は大事なことの1つだけに集中する必要があるものです。考え抜く時間ではいろいろなものがごちゃ混ぜになりがちですが、直観からスタートすれば、そして一拍置く時間の中で、それが現実に大事なのかそうでないのか明確になるように思います。
皆さんは、どういうやり方で考えますか。
考え抜いて結論を出されるタイプですか。それとも直観でスタートするタイプですか。
カズシン株式会社
代表取締役 山内和美