カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

まん延防止等重点措置。飲食店協力金。公金の分配の不公平の問題。時短要請、五輪聖火リレー。国民はわかっていると思います。

2021.04.12

本日(4月12日)から5月11日まで、東京では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、『まん延防止等重点措置』が適用されることに。それに伴い、「営業時間短縮要請」に全面的に協力する飲食事業者等の店舗を対象として、新たに【事業規模に応じて】協力金を支給するそうです。

事業規模(売上高の規模)に応じて、とのことですが、飲食店の実態の観点から言えば、依然として、不公平が解消されたとは私には感じられません。とくに広く国民の現状から言えば、さらに格差が積み上がり、不公平感が現実のものとして確定するように感じられます。

 

飲食店の協力金の不公平の問題(政府や自治体による公のお金の分配の仕方)をどう思ったところで、何かが変わるわけではないですし、自分にとって何かいいことがあるわけでもなく。考えるのも書くのも無駄だと思うのですが。納得がいかない状況が続くものの説明していただけることは期待できない、そのジレンマで、また気になってしまうのです。

 

ずっと知りたいことですが、できることならせめて今、飲食店の協力金の支払い予定額と支払い済額をエリアや売上高規模ごとにデータ開示していただきたい。エリアも細かく、規模も細かく分けてモデルケースも明示していただきたい。公のお金のことですから、うやむやにはできず、洗いざらい数字を開示し、検証できる状態を作るのは最低限のことだと思います。すでにそうしたデータがどこかに開示されているのであれば、広報していただきたい。一律の不公平云々とは別の問題としても、お金の動くことですから、国民にエビデンスを提示し、事実として知らせる務めは政府にあると思います。

 

よく言われていることですが、政権が長くなると腐敗が起こる。そういうものだと思います。腐敗すればするほど隠ぺいが重なり、隠ぺいが重なるほど政権が手離せなくなる。どうしたって選挙に勝たなくはならない思いも強まるものでしょう。

今の政権の「思い」は、選挙に自分(自分たち)が勝ちたい思いだけのようです。

目標は選挙に勝つこと。その目標のためにのみ、すべては動かされ、決め事がなされている印象を受けます。

政府の発言に信ぴょう性が薄まり、不信感を募らせた国民は、新型コロナウィルス感染防止のため自粛を求められても、もう政府発信を信用していないのですから、出歩くことをやめないでしょう。

新型コロナウィルスの感染源が飲食店と指摘されていたけれども、それさえ、官僚が飲食店で大勢飲み食いしているニュースを知ると、疑問が生じるものでしょう。

官僚は一般の国民よりはるかに重要な情報に近い方たちでしょう。その方たちが、飲食店が本当に感染リスクが高く避けなければならない場所だと確信していれば、行くはずないのでは、とか。一つの側面からの疑問です。

 

不動産の売買仲介業をしていると、あるいはこの世の中で生きていると、どのようなことも結局は「その人一人」の単位にまで分けていくと、見えてくるものがあるということを実感しています。

納得がいかないことが起こる時には必ず、「その人一人」の単位(個人)まで分けて考えると、腑に落ちるということがこの世の中の法則の一つであると、経験上思うのです。

協力金の不公平の問題は、当面のこととしては、政権が継続したくて生き残りのためである。そう私は思います。政権が継続するということは、選挙に勝つということでしょう。

政権を継続させたい、選挙に勝ちたい。政権に関わる方たち、政治家の方々、結局はそうした方々各々(個人)が生き残りたい思いの表れであるように感じられるのです。

「人」は自分の思いで動きます。権力を持つ方は自分の思いで動かします。

その思いの表現が、外に出るのです。私の思いが私の外に出ます。外から私を見れば、私がどのように外(他人)から見られているかわかれば、それが「私」です。私の思いが外に出て、鏡となって私に返る。私は自分の思いに確信を持っています。その確信を持った思いが外に出て、反射して、私に返ります。世界は自分(個人)の思いの反射のようなものだと思います。

政権、政府、政治家の方々も同じところはないでしょうか。

一人一人、個人の思いが外に出て、国民に対する物事が決められ、実行される。

飲食店の時短要請を行いながら、五輪聖火リレーが行われる。こうしたちぐはぐは外(国民。少なくとも私個人)から見れば、違和感があるのですが、国、また地方自治体の政治家の方々の「思い」が選挙に勝つためであれば、ちぐはぐさが真実でしょう。

人の思いは外に現れます。政府や自治体の長の方々の思いは、国民、都道府県民等外側にいる人々に当たり、反射するものではないでしょうか。

「選挙に勝ちたい」思いで何かやっているのか、国民のためになると思ってやっていることなのか、国民はわかるでしょう。

国民のためというのが最初にあればそもそも、「飲食店協力金の不公平感(国民への公金の分配の不公平)」の問題などは起こらないのだろうと思います。

飲食店への時短要請や国民にステイホームを促している、その一方で聖火リレーで人が集まっている事態なども起こらないでしょう。

長く続いた政権は国民のためではなく、自分のために物事を決めて、実行する。そういう状況に仮にあるのだとすれば、日本は、やはり「もう終わり」なのでしょう。

もちろん、政治家の方々すべてを一括りにはできないでしょう。日本の「終わり」を回避していただける政治家の方がどこか、この日本の中におられるのでしょうか。

こういうことを考えていても、私の本業(不動産業)にとっては前進があるわけではないので、気にするのをやめたいのですが。子供たちの時代が暗黒にならないよう、この国の行き方が気になります。親として、そして国民の一人として、気になってしまう。

 

ところで、私は新型コロナウィルスに感染するのが怖いので、出歩くことはしていません。外出はほとんど最低限にしています。ステイホーム継続中です。

そうした意味では、用心深いのでしょう。

政府が開示してくれる情報が少ない気がしています。自分でも何もわからないのですから、収束するまで気をつけるつもりでいます。

 

いずれ、今回のことが何であったのか検証されることでしょう。明らかとなった時には、過去の話であり、歴史の話となるわけです。

不透明であったことは透明となる。今の日本のこの状況が誰の「思い」で作り上げられたものであるのかも判明することでしょう。

人の思いが世界を作るとすれば、「(その、それらの)人の思い」が、何であり何を目的にしているかによります。外(たとえば国民の側)からすれば、辻褄が合わない、理屈が合わないことが続いているのは、国民への思いと言いつつ、国民のことを考えていないことの証ではないでしょうか。国民に添っていないのに理屈のわかる説明はないから、納得がいかず、疑問が消えない。

国民の思いに添っていれば、国民はそうと気づくものでしょう。

不信感を持つから、政府や自治体の長の方々の言うことに従わない場合もあるでしょう。表立って意見を言わずとも、従わないということは、物言わぬ国民の「イエス」か「ノー」かと言えば、「ノー」の思いの表れでしょう。

政府や自治体の長が言うことを本当だと信じることができるならば、国民は、黙って従うものではないでしょうか。

国民は、政治家の方々が考えている以上に、よくわかっている。私はそう思います。

 

おそらく権力をお持ちで国の中枢におられる方も、市場での不動産売買の取引においても、人間の欲が物事の進もうとする方向性を決定づけているとわかります。

したがって、この世の中で起きていることに矛盾があったとしても、必ず、それは(その)人にとっては理由があることであり、その理由は明らかでないように見えたとしても、自分の欲(利益や思い)を実現しようとしているものではないかと思う次第です。

この世の中は、生きている人の数ほど「思い」があり、起こる出来事はその人の「思い」が外に現れ出たもの。

政治家の方々の「思い」が世の中に出て、日本の中で出来事が起きています。

国民は、その出来事を観察し、政治家の方々の「思い」が何であるのか察知します。

私は、人(国民)というのは、けっこうわかっているものだと思います。

 

皆さんはいかが思われますか。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美