カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。
2021.08.16
およそ10年、20年の年月でみて、少なくとも一部の不動産は価格が上昇しました。大いに上昇したと言える物件やエリアもあります。
価格があがったという点で、驚いたのは、犬の値段です。長年飼っていた室内犬(マルチーズ)の死から数年経ち、もう犬を飼うことはないだろと思っています。そう思いつつ、コロナ禍で巣籠りする日々、ふと、ネットで販売されているマルチーズを見たり、散歩がてらペットショップに入ってしまってマルチーズを見てしまったことがあります。
私が飼うことはない、そのつもりもないのですが、愛らしい姿に惹きつけられてしまいます。
私がマルチーズをペットショップで買った20年近く前と比べて、価格が倍(以上)になっている気がします。高くなったなあ、と感じます。コロナウィルスの影響で自宅にいる人が増え、自宅で過ごす時間も増えたためでしょう。
私が気づいた、『高くなったもの』は、不動産の価格(もちろん安くなった不動産もあります)とペットの値段(少なくともマルチーズは)です。
他にもいろいろあるのでしょうが、パッと思い浮かぶのはその2つです。
反対に、『安くなったもの』もいろいろあるのでしょう。
給与、お給料、収入などはどうなのでしょう。あがった業種や職種もあるのでしょうが、イメージとして全般的に言えばそんなにあがっているという感じはしないです。
そして、日々の暮らしに関わる物の値段もそんなにあがった感じはしないです。だからなのでしょう、私も含めて、収入が仮に増えなくても何とかやっていかれているという状況があるのだろうと思います。
豊かになった実感がない中で、マルチーズの値段を見ると、それでもこの値段で買う人がいて需要があることが、今の時代なのだと思うわけです。ある意味、生きていくための費用の支払いだけで精一杯な人と、それ以上の余裕のある人が分かれている時代なのだと思います。
不動産価格は高くなり(一部であり全部ではありません)、不動産投資という言葉も当たり前になっていますが、高くても買えるのは余裕がある人たちがいるからということと、低金利の影響も大きいのでしょう。
コロナ前、東京の駅近に小さな戸建を買うことに魅力を感じる動きがありましたが、コロナ禍、部屋数の少ない戸建では間に合わない人たちも増え、都心から多少離れても部屋数のある戸建を選ぶ傾向も出てきているようです。
今回はコロナウィルスの影響によりますが、都心から郊外へ、の流れは、時々起こります。
もちろん、今も、都心に近い方の場所を良しとして、戸建を求める人もいます。
都心に近い場所だと1億円くらい~の価格帯(建売)の印象ですが、そのくらいの価格帯に見慣れてきている影響もあるのかそのくらいで買おうと思う方は買って、それでは高いと思う方は少し離れたり、グレードをおとしたり、郊外で買う、そういう流れが出来上がってきているのだと感じます。
ところで、皆さんは、上層階を好まれますか。
窓を開けておいても気にならない、たとえば隣の部屋の窓や人が気にならないこと、そして眺望の良い部屋はとても魅力があると思います。ただし、私は、あまり地面から遠く離れた高いところはちょっと怖いです。
タワーマンションの上層階など、できるだけ高いところを好む方も多いでしょうが、高いところが苦手な方は低層住宅の方が安心感があるかもしれません。人によるのだと思います。
戸建かマンションかも、人によるのでしょう。
また、どのリスクは気になる、あるいはあまり気にならないかも、その人によるのでしょう。
中でもとくに、浸水被害には、皆さん敏感になっていると思いますが、購入物件について、どの程度まで気になるか、気にするかは人によるのだと思います。
住まいは、雨露をしのぐ、動物などに襲われることもない外敵から守ってくれ安心して眠れる、さらに言えば、そこで過ごすことで独創的な考えが湧いてきたり、幸せに暮らすこともできる重要なものだと思います。
自分で買って住むのでも、借りて住むのでも、屋根の下で寝られる、壁に仕切られて外部からの侵入の心配をしないでいられる家(戸建でも、マンションでも)は、人間にとって大変重要なものだと思います。
仕事をなくし家をなくすことで、人はその後の道を閉ざされてしまう場合が多いと思います。それは、誰にもありえることだとすれば、安心して寝られる家があることは当たり前のことではなく、ありがたいことなのだと思います。
さて、一つの例として、災害リスクが他より高いとわかっていてもそれだけを判断材料としない、そのリスクを無視しているわけではなく、リスクの程度とリターン、いろいろな兼ね合いからの判断なのでしょう。
何事も許容度は人それぞれでしょう。この世の中には、人が生きるということには、他にもいろいろなリスクがあり、直接は命に関わるようなことではなかったとしても結果的には命に関わることになってしまう、そういうこともあるでしょう。災難を避けようと思っても不運に捕まることもあるのが人の生と言えるのかもしれません。
コロナワクチン二回目を打ちました。今は平気ですが、2~3日、副反応で参っていました。
インフルエンザワクチンは何度も打っているので怖くはないですが、コロナワクチンは初めてのこと。打つ前にちょっと怖かったです。コロナに罹って亡くなられたり、後遺症に苦しんでいる方々がいるとニュースで知ったことで、恐怖より、打っておこうという気持ちになりました。
打つリスク、打たないリスク、どちらかを選択しなくてはならない状況におかれて、人の選択は分かれることでしょう。体質や疾病などによって、打てない人もいるでしょう。
ワクチンを打つことで何が起こるか全部はわからない中での決断。
不動産を買えば成功するのか、あるいは失敗するのか(失敗するはずと思って買う人はいないとしても)、どの物件を買えば本当にお得なのか、エリアはどこなら万全か、そういう諸々は、投資や不動産にリスクがある以上、十分にはわからないと言う気がします。
いくつかのことを考えては、時間が経てば考えが変わる、変わった考えがまた元に戻ることもある。それが人間だとすれば、わからないの連続が時間の満ち潮のようなものであり、人の限界ではないのかと、私にはそう思えます。
以前、このブログで、「空間が先か時間が先か」というテーマについて何回か書きました。
この世の中が成立するために、時間があり空間が成立するのか、あるいは、空間があり時間が成立するのか、そんな感じのことです。
大学生の時には、「時間が先」、ブログを書いた時には、「空間が先」。
今の私は、「空間と時間が同時」の気がします。
一般的に何かと何かは同時と言っても、厳密に言えば、後先があるような気がしますが、何かと何かにあえて分ける必要がないのであれば、同時、も成り立つのではないかと思うからです。
空間が先か時間が先かと考えれば、どちらかを先にする考えが生まれますが、どちらが先かという問いを止めてしまえば、前後に分ける必要もないのかもしれません。
このこととは関係がないかもしれませんが、不動産のリスクで大きいのはあれですかこれですか、不動産を買う場合、投資する場合の優先順位は何ですか、というところから入ると、順番が出来上がります。リスクが大きいとか小さいとか、優先順位が高いとかそれほど高くないとか。しかし、そういうことを考えるのをやめてしまえば、自分の思い込みから抜け出せて、違う世界、異なる観点から、不動産を知っていくこともできるのかもしれません。そういう気はするのですが、知らない世界に行くのは勇気がいるので、コロナワクチンのように打つか打たないかを選択しなければならない状況にならない限り、私は、相変わらず、リスクの順番を並べ替えてみたり、優先順位を付け直してみたり、決まりきったことの決まった通りのやり方に拘り、このまま支配されていくのだろうか、と気にはなります。気にはなっていますが、慣れ親しんだ考え方を離れて、違う新しい考え方を良しとするほど、まだ確信もない。新しい何らかの考え方と私がこのままもう少し近づけば、何かまた新鮮な見方もできるのかもしれません。
コロナ禍、ホームステイが続き、そろそろ何かまた新しい世界を見たくなっているのかもしれないです。
収束の日はわかりませんがコロナが収束した頃には、私の価値観、世界観も新しくなっているのでしょうか。
東京では、コロナに感染する人が増えています。毎日、何度も救急車が近くを走っています。
もう誰が罹っても不思議はない、誰もが罹る可能性がある、そう感じます。
病床の数の問題で、病院に入院することが難しく自宅療養で苦しんでいる方が大勢おられます。
たくさんの人のつらくてきつい日々が続いています。
カズシン株式会社
代表取締役 山内和美