カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

幸運と不運について(2)任せる、見極める。信用する。不動産では。

2021.08.04

前回のブログで、「幸運と不運」について書きました。今回は、続きです。

不運は避けようがないものですが、回避できるマイナスの出来事や成功体験への近道などがあるとすれば、それは、任せられる人に任せたり、「この人」ならと見極めたり、といった主観によるものでしょうか。

経験や知識や才能を生かして、能力の一つとして「人を見極める」目や腕を持つことができれば、失敗を回避し成功が導き出されるのかどうか。

人生で起こる失敗は、信用する人を間違えたり、対人関係に勘違いがあったり、相手への期待が大きすぎたり、過小評価をしていたり、といったことが関係しているような気がします。

不動産においては、誰に任せるか、誰なら信用できるかという見極めの目を持つことはかなり大切だと思います。

物件の見極めはもちろん大切です。物件の見極めをするにしても、その見極めが妥当かどうかも含めて本業でも将来の予測は難しいのですから、本業でない方の場合は、一般的な意味で一層難しいものだとすれば、相談できる、ある程度任せられる「誰か」はいた方が良さそうです。

完全と言うことは決してなくても、完璧な誰かもいないわけですが、その「誰か」は信用できる人を思い浮かべるのではないでしょうか。

財産に関することですから、無闇に誰かを信用していいはずはないです。完全に任せられるほど信用できる誰かは基本的にはいないか、仮にいるとしたら運がいいか、あるいはちょっと信用しすぎかもしれません。

しかし、自分にその知識や経験が足りないならば、それらを持っている相手の手助けがなければ、成功するのも難しいものと言えそうです。

その人の意見を信用するかどうかは自己責任となりますが、意見を聞いてみたい、信用しようという気持ちになる誰かがいるかいないかは、大成功とは関係はなくても、大きな失敗に陥らないこととは関係があるような気がします。

 

さて、不運は予測ができないものだとすれば、言いなりにならずに抵抗をすることが不運から抜け出す方法なのかもしれない。諦めたり無抵抗でいることは、不運に遭遇した時には、得策ではない気が私はするのです。

熊に出会った時は、「死んだふり」が有効のようです。海で溺れた時は、もがかないで、浮かんで漂うことが得策のようです。抵抗したりしない方がいいわけですが、熊の目の前で逃げ出さずに地面に伏す勇気、溺れてしまう恐怖に打ち勝って力を抜いて浮かぶ知恵などは、逆に言えば、自分自身の本能や恐怖心に打ち勝つことではないでしょうか。大きな力で押し寄せる諦めの気持ち、絶望の言いなりにならず、勇気をもって抵抗することと等しいような気がします。抵抗することで消耗するかもしれませんが、予測ができない時は、つまり抵抗するかしないかどちらかに賭けるほかない状況だと思います。

不運には抵抗し、一方、絶望に負けないというある種の抵抗を行うことが生き延びる可能性を高めるように思うのです。

また、避けることができるのであれば、熊が出るところには極力近づかない、海へは行かない、という考え方もあります。現実的にそれができるのか、そうしようと思うのかは、その時によるか、その人によるとして。

そして、人間(他人)が動き、不本意にも我が身に降りかかるこの世の中の様々なことには、誰を信用するか、信用できる人を見極める目や腕があれば、不運を引き起こさないで、この人生を進展させることができるのかもしれない。そのためには、全部はわからなくても、基礎的なところや基本的なところについては、一応自分でも勉強をしておく、大まかでいいので理屈を知っておくというようなことは意味のないことではないと考えます。

そうは言っても、勉強してもわからないことがたくさんあり、また好きな勉強、得意な勉強がある一方、嫌いな勉強、苦手な勉強があります。どうしたって、人間には得手不得手があるものです。

だから、あまりにかけ離れたことは、たとえば「博打を打つようなもの」と思って、手を出さないのも大きな失敗をしないコツかもしれないと思います。

私は、ギャンブルはしないので、ギャンブルで儲けようとは思わない。ギャンブルがわからないから、勝てる気がしないのです。

何に手を出すかは、人それぞれでしょうが、おそらく多少はわかるものに手を出すものでしょう。そうすると、不動産に手を出す方は、不動産がわかっているか、少なくとも不動産に興味があるということになりそうです。

わかっているからと言って、誰もが儲かる、成功するというものではない。それが、投資というものであり、また、不動産というものなのでしょうか。

私自身は、不動産は手堅いものと考えていますが、儲けるというのは、何事もそうなのでしょうが、不動産も大儲けということは少ないのが現実のことのように思います。

時間をかけることで、簡単に表現すれば、不動産は倍になったりはするとして。しかし、自分自身がその倍になった時に登場人物として、その話に残っているかどうかはわからない。それだけ、儲かるとか儲けるという世界において確実な未来はないような気がします。儲かることはわかっても、自分がその時儲けているかどうかは別のこと。この世の中で主観的に物を見るのが人間であるならば、起こる出来事に確実ということはないような気がするのです。ただし、やり方によって確率を高めることはできるように思います。

努力すること勉強すること、経験を増やすということなどは、自分らしい一つのやり方を見つける土台にはなるような気がします。結果がいいものになるかどうかは断言できないとしても、理屈が言葉にできる時、人はその結果からさらに何かを学ぼうとするからでしょうか。あるいは、その結果を受け入れなくてはならない理由が思い浮かび納得がいくからでしょうか。

運はコントロールできないものだとしても、それらに翻弄されない生き方を目指す過程において、やはり努力をしたくなるのが人間というものでしょうか。

皆さんは、運(幸運、不運)について、どのようにお考えになりますか。

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美