カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。
2020.09.03
コロナウィルスに感染すると、個人が特定されて見知らぬ人たちから断罪を受けるようです。この日本を見て、思うこと。
昭和の時代、事件が起きると、TVのワイドショーのリポーターが悲しみの最中の被害者の家族や混乱の最中にある加害者の家族に遠慮ない取材を行い、その映像が日本中に流されていました。
競うように、取材は過激になっていきました。
大切な家族を亡くし、あるいは家族が殺人者となり、日常がある日突然変化した人の元へ訪れ、その姿を映像で公開していました。
何が是で何が非なのか「是是非非(ぜぜひひ)」の考え方との接点を持たない、行き過ぎた取材・報道姿勢を感じました。
しかし、その時代、そうしたTVのワイドショーを見て娯楽として楽しむ大勢の視聴者がいたからこそ、取材や報道もその方向へ流れていったと言えるのではないでしょうか。
メディアは正義の名のもとに、一点も譲らずに、対象を暴露したり攻撃したり批判したりすることが可能なのかもしれません。
どのような反論も正論も、メディアが伝家の宝刀「正義」を出せば、空中分解してしまいそうです。
今の時代、ネット社会となり個人が自由に意見を発信できるようになり、メディアと同様、一種の「正義」の立場から、対象を絞り込んで追い詰める言動が増えているように感じます。とくに匿名が許容されているため、追い詰め方が非情に思えます。
報道機関の「正義」とネット社会の匿名の個人の「正義」は、同じではないにしても、いずれも自らが「正義」の立場に立って、自らは安全な環境において、対象、他者を批判するという姿勢においては似ていると思います。
また、報道機関もネット社会の匿名の個人も、どこかの誰かが言ったこと、どこかのメディアが言ったこと、言っていたのだからそれはきっと「その何とか、かもしれない」という、根拠の見えない不確実な情報からスタートし、次に「何とかであるとしたら」断罪に値する、だから、追い詰めていく、それは「正義」。こうしたパターンが出来上がっているように思えます。
最初に、真偽を確かめる、ということが本来必要なところであっても、真偽のほどがわからない段階で、真実だったとしたら、で、どんどん規定して、引き返さない傾向が日本人にはあるような気がします。
そして、そうした傾向は、私の中にもあるのかもしれません。あるのかもしれませんが、真偽を最初に確かめる、調べるということはとても大切なことだと思います。
間違った情報で徹底的に他人(相手)を追い詰めて傷つけてしまったら、自分のしたこととして相手に償いをするべきところでしょうが、メディアも匿名の個人も償いをすることはありません。
傷ついた人は、立ち直れないかもしれません。もともとフェアでないのに。結果的に、繊細な心は破壊されてしまうことでしょう。
私は、二人の娘に伝えてあります。「自分を大切にしてください。」それだけだと。そして、どうか「幸せになってください。」。
人は、「自分を大切に」して、「幸せ」を希望する権利があります。
私の娘たちにもあります。私にもあります。多くの方たちに、どなたにもあります。
行き着くところは、「思いやり」だと気づきました。
同時に、思いやりをなくしている自分自身の心も見ました。時代のせいではありません。私の考え間違いが続いただけです。
思いやりを持つことに抵抗感が生じた出来事や年齢との結びつきの中で、いつからか、なぜなのか、「思いやり」を封印してしまっていたのかもしれません。
「思いやり」をなくした人は、私だけではないのでしょうが、少なくとも私はかなり長い年月「思いやり」を忘れていたような気がします。
人が「思いやり」をなくす理由をコロナウィルスの時代だから、というわけにはいかないでしょう。
下の娘が「コロナの季節」という言葉を使いました。今回のブログの内容とは一致していない話の流れの中でですが。
うまい言葉だなと思いました。
「流行っているの?」と聞きました。「知らない」と言いました。
しかし、みんな同じように思っているのかもしれませんね。
今の日本は、「コロナの季節」。思いやりが冬眠してしまう、日本の季節なのかもしれません。
だからこそ、私は、「思いやり」をもう一度、心に植えてみたいと願います。
コロナウィルスの流行するこの時を生きながら、気づかされたことでした。
皆さんは、どのようなことに気づかれましたか。
落ち込みそうになる時は幾度もやってきますが、乗り越えていく価値が人生にはあると思います。
カズシン株式会社
代表取締役 山内和美