カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

あらすじ(本体)→登場人物(脚本・脚色)→結論(結果)  物語について

2020.07.09

子供の頃、「リカちゃん」人形が女の子たちの間で大人気でした。

女の子たちの間の主役は「リカちゃん」ですが、私は「リカちゃん」のお友達である「ハルミちゃん」(人形)が好きでした。また、リカちゃんの双子の妹も持っていました。

女の子の「人形遊び」→ハルミちゃん・リカちゃんの双子の妹(で遊ぶ)→(なり切ったり、想像したり)感情が湧いてくる

私の場合は、こうでした。

では、

リカちゃん人形で遊んでいた女の子の場合、結論が違うのでしょうか?

おそらく、結論(結果)は、同じで「感情が湧いてくる」のではないでしょうか。

 

だとすれば、「リカちゃん」であっても、「ハルミちゃん」でも「リカちゃんの双子の妹」でも、『人形遊び』をするということは、結果として『感情が湧いてくる』ということに変わりはない。

「登場人物」の色で、物語は脚色され、誰がそれらの登場人物が動く脚本を書くのかによって、おもしろさや興味深さの程度や傾向は変わってくるとしても。

登場人物が何をその場でおこなっていたとしても、人形遊びをするとなれば→「感情が湧いてくる」という影響を受けるものだ、と言えるのではないかと思うわけです。

 

その「感情が湧いてくる」に至るまでの間に、「リカちゃん」は「リカちゃん」らしく、「ハルミちゃん」は「ハルミちゃん」そのもので、「リカちゃんの双子の妹(赤ちゃん)」はまた彼女たちでなくてはならない「らしさ」を発揮して。

 

だとすれば、あらすじがわかれば、結論(結果)は予測(予想)できるとしても、もう1つの方法として、登場人物を見れば、結論(結果)までの紆余曲折や要する時間や労力なども見込めるような気がします。

 

最初に『あらすじ』がわかれば、結論(結果)はおおよそ予測ができるとしても、途中「物語」の中で複数の『登場人物』が生き生きと動くので、見誤ったかも、とか、迷路に迷い込んだ気分になったり、ゴール(結果)が見えない気分になることがあると思います。

疑心暗鬼になったり、実は丸きり反対のことが起こっているのに傍目にはそうは見えなかったり。登場人物の思惑に翻弄されますが、その登場人物の性質が見抜けていたり、少し時間をかけてよく見ることができれば、何が起こるか(何が起こっていたか)予想ができるようになるものでしょう。

一通り、ひとしきり「登場人物」がいろいろなことをしたり、そのドラマにおいて喜怒哀楽が起こったりしますが、登場人物は色であり、物語の終わりは、「あらすじ」がわかれば予想通りの結末を迎える。細かいところは抜きにして、おおむねそのように感じます。

 

「あらすじ」が早くにわかる、「あらすじ」が見えると、結論(結果)が見通せるようになるのであれば、勘(直観)がいいとかわるいとかは、「あらすじ」に気持ちがいくかどうか、「あらすじ」を知りたいと思うかどうか、に依るのかもしれません。

起承転結で言えば、「あらすじ」が見つかれば、『結』に至るのですが、途中の『転』の部分が登場人物による脚色であり、その色の部分こそが「楽しみ」という感覚を持つ方は多いのだろうと思います。

脚色された登場人物が様々に活躍したり、暗躍したり。その「物語」は彼ら登場人物に相ふさわしいメロディーが流れながら、ある場面では軽やかであり、次の展開では重くなったり。

「アート」と触れるような喜びを感じるのは、登場人物あってのことでしょう。

 

人には2タイプいるようです。

「原作」者(「あらすじ」派)と「脚本」(「脚色)」家。

 

私は、「あらすじ」派だと思われます。

ドストエフスキーの「罪と罰」(前の前のブログ)主要なあらすじ(上巻の半分、全体の1/4ほど読んだところで)が出たところで、さてと、一旦読む意欲が減退してしまいました。

その後は「登場人物」がいろいろな役割を演じて、盛り上げてくれるはずなのですが。

「あらすじ」がわかると、すっと自分の中で興味が終わったみたいな風が吹くのか、ちょっと休憩してしまうのです。

『転』じてからのおもしろさ、というのもあり、だからきっとまたすこし時間を空ければ読みたくなるような気もします。

 

『罪と罰』のお話の元は決まっていたとしても、登場人物が「リカちゃん」であっても、「ハルミちゃん」であっても、出てくる登場人物に私のようなタイプであったとしても結局のところ感情移入しつつ、「物語」の最後まで読み切ってしまう。そういうおもしろさがドストエフスキーの筆力(表現力)であろうと思うのです。

 

ドストエフスキーとスカイツリーのライトアップ(先のブログにて)は案外近いのでしょう。

 

さて、皆さんは、どちらのタイプですか?あらすじ派ですか?それとも脚色派ですか?

リカちゃん(本体)のお洋服の着せ替えやお洋服集めが好きだった女性の方であれば、脚色(脚本)家のような気がします。

私はと言えば、着せ替えや洋服に夢中になるというよりも、本体のお人形(「ハルミちゃん」や「リカちゃんの双子の妹(赤ちゃん)」)そのものを好んだような記憶があがってきます。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美