カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。
2020.02.26
松任谷由実さんの『春よ、来い』が好きです。
下の娘が私を励まそうと聴かせてくれた曲です。
事態が好転しない私の月日の中で、気持ちを察して娘が私に聴かせてくれた曲。
いつか来る春を必ず来ると信じて。
ところで、「要領のわるさ」もあってか、物事が簡単にいかないことがあります。
「要領のわるさ」は年を重ねても改善されないもののようです。少なくとも私の場合には。
一方で、気がつくと、粘り強くなってきた感じはします。
「諦めたら何も得られない」冷徹な繰り返しを経て、『簡単には諦めないこと』へ通じたのでしょうか。
「部分から大枠を読んで、さらにまた部分へと立ち帰る」ような思考の方向性が私の年月のかなりを覆い尽くしてきたように思われます。
この思考の方向性ゆえに「要領のわるさ」が際立つのか、少なくとも「要領のわるさ」と不可分であったような気がします。
さて、「要領のいい人」の1つのタイプに、二面性の強い人がいると思います。
二面性と言えば、二重人格のようなイメージに聞こえるかもしれませんが、区切れるようなイメージではなく、連続した幅をもつ、横方向に広がりを持つパーソナリティーを持っているような人のことです。
投資詐欺や汚職ほか、金銭が絡んだ事件で逮捕されても、「あの人はいい人です」「あの人ほど周りの人に気を遣って、人に慕われる人はいない」等、肯定的に言われるような人がいます。(中には無罪の方もいるのでしょうが。)
そのように言われる方で、金銭的なトラブルが社会問題となった人たちの1つのタイプとして、横方向に広がりを持つ思考の方向性と、その方向性を支えるその人のパーソナリティーの類型があるような気がします。
常識的な一般社会と、詐欺(と言われても同然ないし、結果的に詐欺のような形になってしまった、ケースも含めて)的な社会の2つの円が重なる真ん中の部分にいる人たちのようなイメージになりますが、そのイメージではなく。
常識的な一般社会と、詐欺的な社会の両方の幅をもつ「線」の上において、自在に、本能的に?行き来できる種類の人たちをイメージします。
したがって、目の前の人に合わせてどちらの顔になるか決まってくるようであり、その時の顔を見る人たちはその顔の人から受ける印象をその人だと理解します。
二面性と言ったのは、こうしたところからです。
人心掌握に大変長けていたり、魅力的で人を惹きつけ人を思う通りに動かせる、いわゆる大きな仕事?(結果的に詐欺も同然になるほど)をするような人たちの一部の方がこのようなタイプであるような気がします。
定規の幅の中で、右(あるいは+)の世界と左(あるいは-)の世界をスライドさせていけば、出会うほとんど誰とでも、またどのような世界(社会)でも、その世界の人と折り合いがつけられる顔で対応できる。そういう人と対面すると、その人はその顔通りの人だと早とちりしてしまうものです。
しかし、横方向に広がる幅を持つパーソナリティー(線の上を行き来する)人たちは、いくつもの顔を持っており、いくつもの世界と折り合いをつけているのではないでしょうか。
だから、詐欺で社会問題になった時に「あれは詐欺ではない」と本人が言うばかりでなく、周囲の人の中にもそう言う人が出てきます(本心からそう思っているケースもあるようです。また、自分もそのことに関わっていたのだとしたら、そう言わざるを得ない、そう思いたい気持ちもあるのでしょうか。関わっていなくても、「あのような人は本当はわるい人間はない」という感覚を持っている人もいるのでしょう)。
それほど「要領の良い」人が起こす社会問題には、「善」が隠れているようで、「100%黒」というような決めつけをしてしまうことは、かえって間違いではないのかと萎縮してしまう要素が含まれているのではないかと。
どの顔を見たか、その顔をどう理解するか、によって、人の評価は分かれるのでしょう。
「要領の良さ」で、大きな仕事?をしたり、大金を得たりするのでしょうが、結局そうしたお金は身につかず、人生を終える人も多いのではないでしょうか。
「要領のわるさ」で大きな仕事もできずお金も得なかった人と比べて、一時的には良い時があったとしても、最終的には、幅の広い線を行き来した分本来の自分がどうであったのか(両面があるのがその人の特長であるとしても)わからなくなり、世間の批判にさらされて「自分はそんなことはない」「自分はそんなつもりはなかった」という苦さを噛みしめて生きることになるのではないでしょうか。
幅を自在にスライドできるということは、本人も自分自身を見失ってしまうリスクを抱えているように思います。
スライドしているうちに、善悪の基準も薄らぎ、気がつくと、「そんなつもりはなかったのに」詐欺同然と批判を浴びる時期がきてしまいます。
詐欺罪を立証することは大変難しいようですが、結果的に「詐欺も同然」と批判されることになるビジネスは、「そんなつもりはなかった」の言葉と思いが1セットになっているように思われます。
最初から100%騙してやろうと思ったわけではなく、結果として「詐欺も同然」と批判されることになるビジネスはこの世の中はにたくさんあることでしょう。
その主役(首謀者?)たちの思考の方向性とパーソナリティーを想像する時、「ああ、やっぱり、そうだ」と、私としては、いよいよ腑に落ちて、思うところであります。
詐欺(も同然)のようなビジネスをしない、「要領の良い」方もおられることでしょう。
そういう方は、横の幅を広くとらず、したがって大幅にはスライドしないのだと思います。
右(あるいは+)であれば右(プラス)、左(あるいは-)であれば左(マイナス)。
右の範囲の中で、あるいは左の範囲の中でスライドし、手際よく物事を段取り片づける、ゴールに向けて部分を積みあげる。
良い結果を出せることが上手いのでしょう。その分、自分の範囲を離れては、良い結果は出せないため、陣地取りに力を注ぐことになるのでしょう。
おそらく、守りの人です。
「要領の悪い人」は、陣地取りができず、守るものさえ「要領の良い人」の手にすべて握られており、「そもそも動ける幅がない」人ということになるのでしょうか。
あるいは、「存在できる(動ける)横幅がない」から縦軸で物を見るようになるのでしょうか。
この世間において。「要領のわるい人」は横軸で動く幅がないため、自分の軸一点で、縦の軸で完結する思考の方向性を持つようになる。部分と大枠が縦の線に一直線に在るかのような感覚、「部分→大枠→部分」と対象を縦の線の中で理解し、対象の在る位置の方を(自らが、ではなく)動かしていくような物の理解。
「直観」というのは、このような理解のことを言うのでしょうか。
自分の頭の中で対象を動かしていく、しかし、対象(物)は現実には動きません。
不動産の仲介業をしていて、私は「良かった」と思います。
物件仲介の工程と、このような思考の方向性が一致しているように思われるからです。
むしろ工程を踏まず、「直観」だけで成り立っているのかもしれません。とくに私の場合には。
1つの例にすぎませんが、たとえば
「要領の良い人」は欲しいもの(人)を絞り込み、自分が自在にそのもの(人)に近づき、そのもの(人)からすると自然に対面することとなる。
自然な対面の中で、「要領の良い人」の方へそのもの(人)が自ら手(お金、気持ち、支援等)を差し出してくるような組み立てができる人ではないでしょうか。
皆さんは、「要領が良い」ですか。それとも、「要領がわるい」ですか。
そして、皆さんは、どのようなお仕事に就かれましたか。そのお仕事は、皆さんに合っていますか。
要領のわるい人こそ、諦めないで粘り強く続けることで、いずれはその道で残ることができる人だと思います。
私は、くじけそうになった時には、そんなことも思いながら、不動産仲介の仕事を続けてきたような気がいたします。
縦の線で物事を移動させる感覚は、要領の良いものではないかもしれませんが、「仲介」に必要だろう「直観」と結び付いており、無駄ではありません。
また、段取りや積みあげを頭の中だけで一気にやってしまうので、面倒な手作業などもなく、効率的といえば、これ以上ないほど効率的でしょう。
「不動産の仲介は、物を右から左に動かす仕事。動かせばお金になる」と言われます。右の人から左の人へ動かすわけですが、工程としては仲介人の頭の中の縦軸で動いているのかもしれないです。たとえば、長く私がそうだったでしょうところから、言えば。
ただし、これからを言えば、横の軸で自分自身が多少は動けるようになることが、この年齢になっての精進であろうかと。
長い年月の中で、動こうにも動けない窮屈な経験が重なるごとに、この世の中には、「1つの横軸」しかないと思い込んでしまったようです。
私にとって、世間とは、かろうじて自分一人が立てるだけのスペースにおいて、踏ん張り続ける必要がある場所だったのかもしれません。
いつからか、そのような思い込みに囚われて、私も「横軸」を自由に動く権利があることを忘れて放棄してきたのかもしれません。
急速にわかったのですが、この世の中には、私が自在に動ける「横軸」も存在しているはずなのです。
ずっとそうした世界は無いのだと、すっかり思い込んできていましたが、たしかに存在するのだとようやく気がつきました。
この世の中には、いくつもの「横軸」があり、各々その軸を動く人たちは己の位置するその横軸を右に左に動くことで、商いをし、特有の人生を生きています。
私には私が動ける「横軸」がきっとあります。その横軸であれば、動きがとれないこともなく、自在にスライドしながら、豊かな何かさえ継続して得ることができる、そういう世界があると思います。
自分が動ける「横軸」を見つけることができさえすれば。
横の軸で動けるようになる、その精進の先に見えてくる、新しい景色があるような気がします。その景色こそ、「春」なのかもしれません。
「要領がわるい」は自分が思っているだけであり、他人から見れば「不動産屋」。その意味で言えば、けっこう要領よくやっている方かもしれませんね。
以前、上の娘は『負けないで』(ZARD)を聴かせてくれました。
不動産業者ですから。そう、負けるわけにはいかないです。
春は必ず来ると信じて。負けないで
カズシン株式会社
代表取締役 山内和美