カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

騙されること、騙される人、欲、お人よし

2019.12.01

お金があれば、必要なもの、必要でないもの、欲しいもの、欲しくないもの、最新の医療、高価な宗教の壺、裕福な生活を好む洗練された素敵な結婚相手、お金持ち同士の結婚、お金がなくても愛で結婚する相手、お金があってもなくても変わらない相手、教育、高額な教育費がかかる難しい資格、社会的には価値がなく通用しないけど詐欺がかっている全財産と引き換えにするくらいでないと授けられない資格、等々、いろいろなものが買えます。

 

お金は物と引き換えになります。愛や人や健康なども含めて、「対象」という見方において、この場合「もの(物)」とします。

 

何でも買えるかもしれませんが、買えないものもあります。お金の力で手に入れたい相手であっても、その相手がお金では動かない場合は、お金以外の何かが必要になります。恐怖かもしれません。恐怖を与えれば、手に入るのかもしれません。

 

騙される時、お金の欲で騙されるケースだけではないでしょう。

 

たしかに欲はどこかにあって、全く欲がないということだと、騙すきっかけそのものが難しく、結果的に騙せない相手ということになりそうです。

しかし、人間の欲に入り込むきっかけを得た後であれば、欲よりも逃げ出したいと思い始めている人に、新たな恐怖心を植え付けることで、騙し続けることも可能でしょう。騙されたことに気づいたとしても、「騙された」として相手に反論したり、逃げ出したり、追求したり、約束を反故にすることが難しくなります。

 

「言わさない」という手法です。言えなくされると、騙されたことが表面化しなくて、本人の意思に基づいて取り決めたことになります。

 

人間の欲には「得」をしたいという欲のほか、「損」をしたくないという欲もあります。「損して得取れ」の欲もありそうです。

また、お人よしの話ですが「お世話になった方の頼みだから」と自分を言い聞かせて大借金をかぶるという「義理堅く」あろうとする人格のタイプの欲もあります。「一旦約束したことは絶対に守らなくては」という有言実行を守りたい人格のタイプの欲もあります。「こんなことになったのは自分もわるい」という相手を正当化して自分自身が損をする選択肢を選んでしまう人格のタイプの習慣や価値観からの欲もあります。

欲にはいろいろあります。その人の人格のうちの何らかの欲が、一般的な意味での「欲」に重なりながら、騙されるわけでしょう。

騙された人に恐怖を植え付ける手法は、騙す側としては割とやっていることではないでしょうか。自分や家族の身に危険が及びそう、という感覚は、騙された人が最後まで騙され続ける(ふりをする)のにちょうど合うので、騙す側としてはとりやすくて、やりやすいやり方ではないでしょうか。

今は脅しや恐怖心を植え付けることは昔と比べるとはるかにやりづらくなっているとしても、問題にしづらい程度に、やり方を巧妙に変えながら、騙しのやり方としては無くなってはいないと思います。

恥の感覚が強い人に対してであれば、その人の持っている恥の感覚に恐怖心をかぶせると、その人は「騙された」と言えなくなるかもしれません。

責任感が強い人に対してであれば、その人の持っている責任感に恐怖心をかぶせると、同様にその人は「騙されたわけではない」と言うかもしれません。

責任感や恥の感覚も持っているその人が義理堅さも持ち合わせていることを知っていれば、今まで世話してやった・お世話されたの関係をもとに、借金を負わせても、その人は騙されたとは誰にも言わず、自分自身のせいだと本心から思うかもしれません。どこかで「おかしい」感覚はあったとしても、お世話になった相手が自分にわるいことをするわけがない、と思うお人よしの人は世の中にいます。

多少過激で極端な言い方になりますが、お人よしの人たちは、自分の都合よく考えるという点においてある種の自意識が強いところがあると言えるのかもしれません。人がその人の欲・得のためにしていることであったとしても、その人はいい人で自分のために何か自分を思っていいことをしてくれている、いいことを言ってくれている、そんなちょっと受け取り方に特徴的なところがあるかもしれないと思います。

自身の損得で動いているだけのその人なのに、なぜか「その人はこんなことを言っていても、こんなことを自分に負わせるつもりであっても」、本心ではきっと自分によくしてくれるつもりからであるだろうという無邪気な信念がどこかから湧いてきて。相手が自分にわるいことをするわけがないという前提がなぜか崩れない気がします。

言いにくいことを言う習慣が身についていないと、相手のいいなりになりがちです。相手のいいなりになっているのに、言うべきことを言えない、言わないのですから、心はバランスをとるために、相手の方が正しい・相手の方が上・相手の言う通り、と調整をかけるのではないでしょうか。

だから、言うべきところで主張せず、こんな目に遭っているのに相手をわるく言うどころか相手をかばっているような姿の「お人よし」になるのではないでしょうか。

そんな「お人よし」を見分ける感覚は、騙し慣れている人は持っています。騙し慣れていない一般的な人も持っています。お人よしだけが持っていない感覚。だからお人よしは騙されたり、損をしたり、利用されたりするのでしょう。それでも、お人よしは「あの人がそんなわるいことを自分にするわけがない」と思います。

 

カルト宗教や詐欺、戦略などは、このようなお人よしは簡単にコントロールできることでしょう。騙される人がわるいというのは、お人よしには、現実のところ当てはまらない気がします。「お人よしもいい加減にしたら」と言われても、やめられなかったり、自分に自信が持てず人ばかり優先したりする習慣を変えられなかったりするところにお人よしにもある意味において全く責任がないとは言えないかもしれませんが。お人よしを騙したり利用したりする人の方がわるいと思います。

騙されるのはお人よしばかりではなく、欲深い人も騙されます。

だから、騙されたとなった時、お人よしで騙される場合と欲が深くて騙されたという場合があります。

騙されるにも、ここまでの道が分かれているのです。しかし、騙されて進む道は同じかもしれません。欲が深くて騙された人は欲の深さについて学び、お人よしで騙された人はなぜ自分がお人よしになってしまったのか学ぶ。自分自身の弱さと向き合う道かもしれません。騙された結果見えてきた答えは、その人の強さに力を貸すことでしょう。

 

私は? そして皆さんはお人よしですか? それとも欲が深いですか?

お人よしをやめられないのも人の欲の一つかもしれません。欲を自制するように、お人よしを自制できれば、何かちょっと違う未来に出会える気がいたします。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美