カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

昔 哲学ではカントが好きでした。「時間と空間」が私のテーマでした。

2018.03.27

ストレートで入学した関西学院大学、文学部を退学し、一旦実家に戻りました。もう30年以上前のことです。

実家へ戻っていた、そのほぼ1年間でやったこと。

時間があったので、「ピアノを習ってみたい」と思い立ち、週に1度、ピアノ教室へ通いました。

子供が習い始めた頃に弾く、赤バイエル→黄バイエルへと進みました。黄バイエルの後、次の教本へ進みました(何だったかは忘れました)。

ピアノは無く、キーボードで練習していたような気がしますが、記憶があいまいです。

ピアノを習っている間に、保母さんの資格を取ろうと思い立ち、勉強を始めました。試験は学科と実技がありました。学科試験の科目は多かったですが、すべて同時に一回で合格しました。しかし、実技(ピアノや子供との遊び方?)の方が不合格でした。実技の不合格が具体的にどこだったのかは不明です。

学科試験免除で、実技は翌年や翌々年もまた受験もできたはずでしたが、私の保母試験体験は、この1回で終了しました。ちなみに、勉強するにあたり、教材として『ユーキャン(通信、添削)』を選んだと思います。

勉強するまで、保母さんの試験の内容などについては知りませんでした。通常は学校へ行き学ぶところですが、行かなくても受験できるということがわかったので、受けてみようと思ったのです。

なぜ『保母さん(保育士)?』だったのか。なにぶん30年以上前のこととなりますので、私自身の記憶もどこまで正しいかはわかりません。そのうえで言えば、おそらく「人と関わる何か」「誰かに何かを教える仕事」「未来のある子供と関われる仕事」そういう何かを求めていたのかもしれないです。

さて、実家へ帰っていた、ほぼ一年間でやったことの続きです。

『保母』試験(当時は保育士とは言わず、「保母さん」と言っていました)の次は、『英検2級』を受験しました。

こちらは本屋で、英検2級受験用のテキストを購入し、独学でした。

合格しました。秋の試験でした。

退学した大学ではあまり勉強しなかったので、英検2級であってもそれらしい勉強を久しぶりにしてみたところ、もう少し勉強してみたくなりました。もう1度、大学の受験勉強をしてみたくなりました。その時、もう冬への季節だったと思い出されます。

家庭の事情があって、苦渋の決断で退学してきた大学なのに。もう1度大学へ行きたくなりました。それも、東京の大学へ。

退学したのは、関西の大学でした。

実家は四国でした。四国からは大阪・神戸の方が出やすいです。でも、本心では、東京へ行きたかったです。

したがって、退学した大学へ戻る(退学しても5年間は復学できました)ことはしないで、1から東京の大学へ行こう!と思いました。

「東京へ行ければいいなあ…」そういう思いで、大学受験の勉強をしたいと思いました。

思い切って、母へ言いました。もともとは、家庭の事情(諸々です。ほんとうにいろいろなことが当時重なりました)があっての退学でしたが、実際に退学してわずか数カ月の間に、「もう一度大学へ行きたい。それも東京の大学へ」。

母は「いいよ。行かせてあげるから。行かせられるようにするから」と言いました。その時、母は所有していた一棟マンションを売ることを決めました。

赤本(大学受験用の過去問題集)だけを頼りに、早稲田大学の第二文学部(現在は廃部となっています。早稲田、最後の夜学と言われた学部です。吉永小百合さんやタモリさん、芸能人や、文筆家、ジャーナリスト他、多数の才能あふれる方々を輩出してきた学部です。)

を一般受験し、合格しました。

受験勉強の期間はあまりとれませんでしたが、英検2級の勉強も無駄にはならなかったようで、大学を退学した翌春、晴れて、東京の大学へ入学することができました。

二度目の大学生活です。

二文(第二文学部)では、哲学科『専攻』という言い方ではなく(一文<第一文学部>では『専攻』という言い方でした)「専修」となり、私が専修したのは、『西洋文化(専修)』でした。

西洋の哲学や文学など本をたくさん読みました(日本語に翻訳されたものでしたが)。

ソクラテスもプラトンも。ニーチェもドストエフスキーも好きでした。

文学で、大好きだったのは、『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン)。

哲学では、「カント」の『純粋理性批判』の中で書かれている「時間と空間」について一番真剣に考えました。(専修のテキストだったこともあり)

時間が先か?空間が先か?

当時の私の答えは、「時間が先」というものでした。時間が先に生まれたから、空間も成立できたというような意味合いのものでした。

哲学や文学の観点から物事を見る回路が身に付いたためなのか、今まで、ずっと私は、哲学しながら、この世の中を自分なりに解釈してこようとしてきたのではないかと思われるところがあります。

この世界(世の中)、空間。いろいろな物事が見えます。

点で考えるか、線で見るか。

点で考えているうちは、あまりに多数の点が見えるため、各々の関連を見抜くことが簡単にはいかないと思われます。

点にしか見えなかったもの(点で見ていたもの)が線で見えてきた時、飛躍的に、世界(この世)が楽に見えてくるような感じがいたします。

点だと思っていたものが線にできることに気づいた時こそ、自分自身の人生の転換点になりうるほどの感動がありました。

私の今の考えは、「空間」が時間に優先する、というものです。

空間が生まれなければ、時間は成立しないという気がいたします。

時間が流れるためには、前提として、空間を認識できていることが必要な気がするのです。

存在する空間を見極めて、その空間にあるものが点ではなく、線で見えるようになった時、その人間にとって、時間感覚というものが生じてくるのではないかと、今はそのように思っています。

これからまだ何十年、生きられるつもりでいます。

最終的な答えは、どちらになるのでしょうか。

空間でしょうか?時間でしょうか?

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美